ワックスの歴史


 ワックス(Wax)の語源は本来蜜蜂が自分の巣を作る時分泌するいわゆる蜜蝋に由来していますが、旧漢字の蝋の文字も一箇所に集めた物を意味する漢字の作りに虫偏の組合せですからまさしく蜜蝋のことを意味しており、東西とも語源は同一です。
 この蜜蝋と人類との係わりは非常に古く、古代エジプト時代に遡ります。紀元前4200年頃のエジプ トの遺跡からミイラの保存に使用されていたのが発見されています。また紀元前1300年代のツタンカーメン王の墓から4個の燭台が発見されていますが、この頃には蝋燭が存在していた何よりの証拠で、おそらく蜜蝋で作られていたものと思われます。少し遡って紀元 前1000年代のエジプト王家の墓から蜜蝋で密閉された瓶が発見され、この中には水が残っ ていたとの話もあります。  
 一方中国では、紀元前300年台にある人が漢の高祖に蜜蝋を献じたとの記録が残っています。
 我国では6世紀の仏教伝来とともに蜜蝋燭が持ち込まれたと言われています。8世紀中頃に書かれたあるお寺の古文書で元正天皇より蝋燭を賜ったとの記述が確認されています。

 このことから、人類が利用した最初のワックスは蜜蝋で、用途は蝋燭やコーテング剤であったと思われます。(獣脂 tallow もおそらくもっと古くから明かりに利用されていたと思われますが、狭義のワックスではありませんので、対象とはしません。)

 時代が進むにつれ蜜蝋以外のワックスが発見され、利用されてきました。これらのワックスは19世紀後半石油工業が台頭してくるまでは動物若しくは植物由来の蝋で、代表的なものは我国でははぜの実から抽出したはぜ蝋です。その他にカイガラ虫が分泌するセラック蝋、鯨から採取する鯨蝋、椰子の葉の表面から採取するカルナバ蝋等があります。(詳細はワックスとはを参照して下さい)
 一部は艶出し材や整髪材として利用されましたが、多くは蝋燭用として使用されていました。
 我国の代表的な蝋であるはぜ蝋(左図は製造しているところ)は日本伝統の蝋燭にも使用されているものですが、直近(2000年)の年間消費量は僅か150トン程度にしかすぎません。最盛期(明治の末期)には1万トン以上も生産され、その内2-3000トンが輸出され明治初期には我国の代表的輸出品目でした。100年余りの間に約1/70に減少したのは主用途の蝋燭が電灯に取って代わられた上、その蝋燭も石油由来のワックス、主成分がパラフィン系炭化水素の為パラフィンワックスと呼ばれますが、に変えられた為です。

 さて年々夜を明かるくするニーズが高まって行きますが、その様な中18世紀後半スイス人によりランプの画期的な改良が発明されました。このランプは蝋燭の7倍の光を放ったというから照明の革命でした。
 ランプの発達は菜種油や鯨油の需要を急激に押し上げました。しかしこれらだけでは需要をまかないきれず、替りとなる鉱物油の確保が急務となり石油工業が北米で台頭してきました。ちょうど我国が明治を迎えようとしていた19世紀後半の頃です。この石油工業の発展が灯油のみならずワックスも安定的且つ大量に供給することを可能とし、ひいては蝋燭も庶民が利用できるようになってきました。

 話をワックスに戻しますが、1809年ドイツ人の化学者が石油中にワックスの存在を確認しています。しかし当時は未だパラフィンという言葉はありませんでした。最初にパラフィンと云う言葉を使ったのは1830年同じくドイツ人のラインバッハで、木タールから抽出した白いワックス状の物質にこの名を付けました。同じ年今度はフランス人のローランがオイルシェルよりパラフィンを取り出しました。
 鉱物由来のパラフィンワックスの量産技術を確立したのはイギリス人のヤングで1848年のことです。これは石油ではなくオイルシェルからの製造でした。1851年にはスコットランドやドイツでも幾つかのオイルシェル精製工場が建設されました。これらの精製所はやがて石油工業に吸収されて行くことになります。
 この10年後の1860年の冬、イギリスの大化学者ファラデーが蝋燭を使いながら講演(この講演は世界的にも有名で、内容は我国でも書物で紹介されている)をしましたが、その場で4種の蝋燭を紹介しています。それらは(1)鯨蝋燭、(2)蜜蝋燭、(3)パラフィン蝋燭(アイルランドの沼沢地から採れたパラフィンで作られたものと紹介あり)、(4)日本産の蝋燭(へんぴな国から来たと紹介あり)でした。多分このパラフィン蝋燭はヤングの技術で作られた物ではなかったかと思われます。

 さて現在全世界で年間300万トン以上も消費されている石油由来のワックスの量産一番乗りは誰なのか筆者には分かりませんが、小規模な生産は1850年代後半にヨーロッパで散見されます。大規模及び継続的なのはおそらく1860年代アメリカのスタンダート石油あたりではないでしょうか。
 大森実氏著の石油王ロックフェラーの伝記に彼のパートナーの一人イギリス人のアンドリュースは化学者でペンシルベニア原油の精製を研究し、この過程で実験室でローソクを作ることに成功したとの記述があります。ロックフェラーは彼と組んでロックフェラー・アンドリュース商会を設立しますが、これこそスタンダード石油の前身にほかなりません。この会社の設立は1865年のことです。おそらくこの頃生産されたワックスはほぼ全量鯨蝋や蜜蝋の替りとして蝋燭の製造に消費されたことでしょう。

 我国においてパラフィンワックスで蝋燭を量産したのは1873年東京下谷車坂の開運堂と云われていますが、どこの誰が輸入したパラフィンワックスなのかはっきりしません。1890年代まずスタンダード石油がパラフィンワックスを輸入販売しますが、1900年に入ってからシェルの前身であるライジングサンがボルネオやラングーンからパラフィンを輸入し、地の利の為でしょうか、これが我国の市場をほぼ独占することにとになりました。ライジングサンは更に蝋燭も販売し、おおいに儲けたと伝えられています。この明治末期から大正時代のパラフィンの主な用途は蝋燭の他マッチ軸木の含浸材、蝋紙程度であったと思われます。消費量は昭和の初期で1−2万トン程度と推察されます。(2000年では7万トン程度)

 一方我国におけるパラフィンワックスの製造は、1916年日本石油鰍フ直江津精油所で行なわれたのが最初でした。製造装置一式をアメリカのカーボンデ-ル製蝋会社に発注。1914年5月、同社派遣のアボット技師の指導により着工し、この年の2年後の1916年11月に原油処理能力250石/日、製品月産能力8トンの設備が完成したと、日本石油100年史は伝えています。
 現在トップシェアーである日本精蝋は1930年南満州鉄道の子会社として山口県徳山市で産声を上げ(写真参照)、無順炭鉱のオイルシェルの重質部分からワックスの生産を開始し、この両社で徐々に輸入品を駆逐して行きました。南満州鉄道がワックスの子会社を持った理由は海軍が深く関係しています。すなわち軍艦の燃料が石炭から重油に変わり、重油の増産が叫ばれていました。この一環で無順炭鉱で産出するオイルシェルからも重油を作ろうとゆうことになり満鉄内に重油工場(建設着手1928年、翌年80トン乾留炉50基を有し生産能力月産4千トンの工場が完成)が作られましたが、このオイルシェルの重質部分にはワックスが多く含まれており、これを精製するために子会社を作った訳です。
 戦後日本石油は1949年に、日本精蝋は1951年に(今度は石油から)ワックスの生産を再開しました。またこの年スタンダード(東亜燃料)がわが国で初めてワックスの製造を始めました。 

 現在(2000年)石油由来のワックスは全世界では約300万トン、国内には約7万トン消費され、第2位の合成ワックス、第3位のカルナバワックス(植物由来、全生産量は1-1.5万トン 日本の輸入量は3000t程度)を大きく引き離し、ワックスといえば石油由来のパラフィンワックスを意味するといっても過言ではありません。

 石油ワックスより更に新しい炭化水素系ワックスは合成ワックスです。炭化水素系合成ワックスには2種類に大別されますが、一つはポリオレフィン樹脂の比較的低分子量(数万以下)のもので、別名ポリエチレンワックスと呼ばれているものです。残りは一酸化炭素と水素を反応させて作る所謂フィッシャー・トロプシュワックスです。いずれも20世紀の中頃に製品化されましたが、その流通量は我国では石油ワックスの20-30%程度です。
 

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